ファティマの預言は1917年5月31日、ポルトガルの小さな町ファティマで、聖母マリアと名乗る光り輝く美しい女性が、3人の羊飼いの子どもたち(ルチア、フランシスコ、ヤシンタ)の前に現れ、6回にわたり預言したというものです。
その預言には、世界の終わりを告げる終末論が預言されていて、バチカンは今もなおそれを隠し続けているということです。
この預言をファティマの預言といっています。
ファティマの聖母
1916年、ファティマに住む子供、ルチア、フランシスコ、ヤシンタの前に14歳から15歳くらいの平和の天使が現れ、祈りの言葉と額が大地につくように祈り方を教えました。
その後も天使の訪問は続きました。
次の年の1917年5月13日にこの3人の子供たちの前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に会いにくるように告げました。
聖母マリアに託されたメッセージは大きくわけて3つです。
1,死後の地獄の実存。多くの罪な生活で回心しないと、永遠に地獄にいき、二度とでられないことを告げ、地獄のビジョンを子供たちにみせました。
2,世界大戦の終焉と勃発。第一次世界大戦はまもなく終わるが、人々が悔い改めないなら、さらに戦争が起こり、多くが地獄に落ちるということでした。
前兆としてヨーロッパに不気味な光が見えるだろうと。
3,秘密(1960年になったら公開するように、それまでは秘密にするように伝えた)メッセージがあります。
「ファティマ第三の秘密」と言われ、ルシアから教皇庁に伝えられましたが、1960年になっても公開されませんでした。
その後2000年になり発表されましたが、教皇庁により教皇暗殺の危機とされたが疑問視されていました。
聖母出現を多くの人が目撃することになる
聖母マリアの出現のうわさは広まり、多くの人が預言の日に集まりましたが、聖母マリアの姿を見ることができたのは羊飼いの子どもたちだけでした。
最後のコンタクトは1917年10月13日。 多くの人たちは、銀白色に輝くタマゴ型の物体が浮遊するのを見たり、光輝く太陽が現れたりと、不思議な現象を目撃しました。
7万人の人々が奇跡を見るために集まりました。その日の奇跡現象は今も語り継がれていますが、 閃光がきらめき、バラの花の香りがしたとのことで、天気は大雨だったが突然ピタリと止み、太陽が出現し、回転し群衆の図上に落下しました。
みんながパニックになった瞬間、太陽は上昇し、元の位置に戻りました。
この奇跡は、ファティマから数10キロ離れた場所でも大勢の人に観察されました。
物体は直径千メートルぐらいの巨大な物体で、この事件はポルトガルだけではなく、日本(大正8年)の新聞にも、ヨーロッパにマリア様が出現して大奇跡が起こったと報道されることになりました。
天文台では当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員、居合わせた新聞記者たちも目撃し、ポルトガルのあらゆる新聞に掲載されたのです。
群衆を散らすための部隊も、奇跡を目撃し、直ちに回心しました。
多くの人は、奇跡は世の終わりのことを指していると考えました。
後年にカトリック教会・ローマ教皇庁はこの一連の現象を公認し、5月13日はファティマの聖母の出現記念日としました。
出現を受けた3人のうちフランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの兄妹は聖母の預言どおりに、病死して2000年にヨハネ・パウロ2世により列福されました。
ルシア・ドス・サントスは修道女になり、2005年2月13日に97歳で死去しました。
ジャシンタ・マルトの遺体は1935年と1951年に2度、墓地から掘り返されましたが、顔は全く腐敗していないため、奇跡とされ、現在はファティマ大聖堂の中に安置されています。
2017年5月13日、ポルトガル・ファティマで教皇フランシスコの司式により列聖式が執り行われました。
第1の預言は第1次世界大戦が終結すること。
第2の預言は第2次世界大戦が始まること。
第3の預言はバチカンが隠しとおしていますが、第3次世界大戦が始まる。
このままいけば核戦争になるとの預言でした。
これがファティマの預言です。
2つの預言は時期もピタリとあてはまりました。
その後ファティマは有名になり、カトリック信者の大規模な巡礼地になりました。
そして今、第3次世界大戦が始まるのではないかと懸念されています。