カルマとは
スピリチュアルでカルマの説明を受ける時、自分がやってしまったことを、やりかえされるのがカルマだと説明されていますが、カルマの真実は、不完全なやり方で自己表現した時
この言葉や行動に対してバランスをとる必要があると感じることである状況を作り出します。
この無意識的に引き起こされる葛藤の処理の仕方の中で罪や罰といった形で、物事のバランスをとる必要性を自らが作り出すことをカルマと言います。
罪悪感がなければカルマは出来ないとも言われるのはそのためです。
例えば人を殺してしまったとしましょう。
ところが、それに対して、自分の中で葛藤が生じることなく罪悪感が無意識化にも生まれていなくて、そのことを十分に終了することができれば、カルマとして残らずに、完了したということになります。
でも普通の感覚では、誰かを殺すという体験に何も感じないということはありえないかもしれません。
転生でやり残し(反応が不十分、後悔など)があると、同じ人、又は同じようなシチュエーションが出来事で起こるような転生が起きないと、カルマはずっと解放されずに持ち続けます。
時代や、その出来事にあったドラマが展開できる転生を生きることは、魂にとってまたとない恩寵なのです。
そしてすべての体験は本当に自分自身を体験し、完了したかどうかにかかっているのです。
それは気が済むという言い方でカルマを説明できるかもしれません。